令和の家族の実像 メモ
大学での課題
家族に関する出来事や関心ある事件を取り上げ、そこから読み取れる「令和の家族の実像」を考察してください。
というものがあり、同大学の学生の意見を毎回先生が取り上げてくれるのでそれを読んで思ったことのメモ。
家族というものは
実はかなり脆弱なものなのではないか、
それでいて
「家族」に対し私たちはなぜかそれを
「当たり前なもの」として受け入れ
盲目的に強い望みをかけ過ぎているのではないか、という疑問が生じた。
考えてみれば、私は両親と血のつながりをもって戸籍上家族であり私の「親」であるが、
例えば私が本当は親との血のつながりがないのにそれがあるものとして(事実を隠されながら)育て上げられたとしても何の問題も生じ得ないのではないかとふと考えた。
あくまで家族は
人間の「認識」のうえの1つの概念
であり、
血のつながりや家族と形式上認める法律が
その関係を強めそれを保障してくれるわけではないと思う。
現に夫婦は血のつながりはないわけで、私たちの認識がその関係を家族にするのである。
家族はお互いのことを深く知っていて理解があるのかもしれないが、
家族だからといって、やはりそれ以前に
相手は自分とは違う
人格を持った「一人の人間」
である以上すべてを無条件に受け入れられるわけでないのは当然だ。
考えるワーク(*講義内での課題名。他学生の意見を読んで)でもしばしば取り上げられていた、
妻からの家事という仕事をすべて押し付ける旦那への怒り、
というのは
夫婦という枠組みを取って考えれば、
2人の人間が一つの共有している仕事を
片方の人間に押し付けるというのは理不尽なものであり違和感や怒りを感じるのは至極当然のことなのである。
話し合いがされず双方の合意がないのに
家事はあなた、
逆に経済面を支えるのはあなた、
とその人の役割や負担する仕事量を
勝手に決めつけるのは夫婦どうこうではなく
友人同士であっても、ただの知り合いという関係であっても問題がある。
家族という認識は「他者への尊重」の気持ちを薄めてしまうような気がした。
ただでさえ、今は女性の社会進出や単身世帯の増加にも見て取れるように1人でも生きられる力、「自立」の風潮があり
「個人」としての色が強まる中で
家族だからこれくらい許されるといった考え方はその家族という認識上で成り立つ脆い関係性を崩してしまうだろう。
また、コロナ禍における親子関係の悪化や児童虐待にも言えることで、
親だから子のすべてを受け入れる、親だから子を育てるという考えはもはや通用しないのかもしれない。
今の憲法や法的枠組みは親は子供をもうけたら扶養の義務を課すが、これは当然に親が子を育てられるものとして想定されているからこそであり、大人が全員その子育てを達成できるだけの能力があるかという点について疑問である。
里親制度などからも分かるように、
例え血のつながりがなくとも同様のケアの役割を家族関係にない他者が担うことができるし、
実母が育てない方が子の成長に良い影響を与えるケースも潜在的に多くあるのかもしれない。
私たちは子は親に育てられるものとして当然にこの考え方を受け入れているが、
この固まった考え方こそが現代に見られるようになった多くの問題を引き起こしていることも十分に考えられる。
紆余曲折しまとまらないが、今後大切になるのは家族の一人一人を「一人の人間」として尊重する姿勢を忘れないことであると感じた。
労働契約法8条 就業規則の変更 合意してなくても従うべきか?
大学の労働法の課題で就業規則についての課題がだされ
経済学部の私が法律ど素人ながら奮闘したので
一応載せておくことにします。
*設問
○○銀行は、定年を60歳とし、60歳になっても健康で在職を希望する行員については、
68歳まで賃金水準を落とさず再雇用するという雇用管理を行っていた。
しかし、その後、70歳までの雇用・就業確保を努力義務化する法改正がなされたことや
人材確保が今後困難となる可能性を踏まえて、同銀行は定年年齢を70歳まで延長するとともに、
65歳以降の賃金を切り下げ、年間賃金を64歳時の70%に引き下げることを内容とする
就業規則の改正を、同社の多数組合(従業員の90%、60歳以上の行員の約6割を組織)の同意を得て行った。その際、組合に所属していない者を対象として説明会も行った。
1年後に65歳になる田中さんは、この就業規則に従わなければならないか。
それとも、旧就業規則に基づく処遇を求めることができるか(なお、労基法所定の手続は遵守されているものとする)。
まず法律と照らし合わせ検討していく。
労働契約法8条には
労働者と使用者はその合意に基づき労働契約の内容である労働条件を変更できる
とし、同法9条には
使用者は労働者の合意なしに、就業規則の変更により労働条件を不利益に変更することはできないと規定している。
しかし9条には但し書きが存在し、10条で就業規則の変更において大きな例外が設けられている。
10条では
就業規則の変更により、労働条件を変更する場合において、
①変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ就業規則の変更により被る
②労働者の受ける不利益の程度
③労働条件の変更の必要性
④変更後の就業規則の内容の相当性
⑤労働組合等との交渉の状況
⑥その他の就業規則の変更に係る事情
に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする
との例外を規定している。
まず65歳以降の賃金を切り下げ、年間賃金を64歳時の70%に引き下げることを内容とする就業規則の改正は田中さんの不利益となり、
これに田中さんが合意してない場合原則として労働条件の変更はできない(9条)。
しかし、使用者はその改正を同社の多数組合に周知させ、従業員の90%という高い割合かつ変更対象となる60歳以上の労働者6割から同意を得ており(①)、
以前は68歳まで賃金は変わらなかったが、就業規則の変更で65歳以降の賃金が64歳時の賃金の3割を引き下げられることによる不利益は大きいといえど、
定年の引き延ばしは一種の不利益を緩和していると言え、元より定年60歳との定めがあったものの68歳まで再雇用という形で労働者に対する寛大ともいえる措置をとっていた事実があり(②)、
また70歳までの雇用・就業確保を努力義務化する法改正、人材確保が今後困難となる可能性を踏まえたもの(③)である。
{④についてその元となる賃金額について情報はないが}全行員の90%を組織する労働組合との交渉・合意を経て行われたものであり(⑤)、
労基法所定の手続は遵守されている(⑥)ため
変更後の就業規則の内容は合理性のあるものと推測される。よって労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとなると思われる。
労働契約法7条の
○あ:労働者への周知+ ○い: その内容の合理性を就業規則の変更が持てば労働契約の内容となることを考えてもこの変更は成立する可能性が高い。
更に田中さんがこの変更に対し合意していなかったとしてもこの就業規則について拘束され得るかについて、判例を見ていくと、
秋北バス事件判決(最大判昭43.12.25 民集22-13-3459)において、
就業規則が合理的な労働条件を定めている限りにおいて労働条件決定はその就業規則によるという「事実たる慣習」が成立しており、このような場合、
就業規則の定めを労働者が知る・知らずに関係なく(知ろうと思えば知り得る状態に置かれている状況にあり)、これに反対する労働者の労働条件も就業規則の定め通りに決定される
との判断を最高裁がしたこと、
電電公社帯広局事件判決(最一小判昭和61.3.13労判470-6)において就業規則の内容が合理的なものである限り労働契約をなしているとの判決などを鑑みると
就業規則の約款説的な理解が定着しており、この事例における就業規則の変更の内容が合理的なものであることより田中さんは拘束される可能性が非常に高い。
(しかし、田中さんが労働契約法10条に基づき使用者と特別にたとえ就業原則が行われていてもその変更を受けないといった個別合意がある場合はこの限りではない。)
勉強に際して、
強行法規であるけれども、就業規則の変更に関しては
比較的使用者の自由が認められている印象を受けました。
う~ん。定年延長で賃金切り下げは仕方ないと思います。
その代り新入社員みたいな若手にきちんと渡してやってください。
「家族のカタチ」って?「家族」ってなにさ 1
大学2年、20歳になったいまも尚
わたしは、
‟家族”
って一体何なのか分からずにいる。
正直、うちの家族の雰囲気は温かくない。
どちらかといえば無機質的で、家族一人一人が個人として生活している...気がする。
生まれてから小学生までは私にとって理想に近い、温かい家族だった。
朝、洗濯され、綺麗にたたまれた洋服をタンスから取り出し
母の手により作られた朝食を、急ぎ早に私と兄が食べて学校に向かう。
父は私たちより一歩先に家を出ている。
昼は友達と沢山お喋りをして行間休みにはダッシュでグラウンドでドッヂボール、
給食を食べた後またドッヂボール、掃除して...
放課後はみんなでお菓子食べながら遊んで夕方になったら家に帰る。
夜7時くらいには母の夕食は作り終わっていて、父が仕事で帰宅が遅かったので3人でテーブルを囲み、お笑いのテレビ番組なんて見ながら大笑いしたりその日あったことを話したりしてた。
宿題はその日の夜にやって、お風呂入って寝て...。
母の作る料理はとても手が込んでいて、美味しかった。
毎日違う料理が出てきた。
必ずサラダ(野菜)、汁物、メイン料理、主食、もう一品のおかず
があった。とても豪華であった。本当に美味しかった。
母が家政科高校出身であったことも理由だろう。
母は毎日水曜日に地域のバレーボールクラブに所属しており
そんな日にも急いで料理を作って置いておいてくれた。
休日には4人でデパートに行ったり、大阪に帰ったりした。
いろんなところへ行って色々な経験をした。
幸せだった。私は。
でも、
思えば、親が何を日々感じて、考えているのか、
そのこと自体を私が考えていなかったことが幸せの要因の一つだったかもしれない。
母は専業主婦で、父はサラリーマン。
典型的な「父親稼ぎ手モデル」だ。父は経済的に家計を支え、母は家を守る。
母は辛さを感じていたのではないか?
毎日、子供が学校に行くのを見送りそのあと、ずっと一人で...
掃除をして、洗濯をして、昼ご飯を自分で作って一人で食べ...
買い物をして...夕食を考えて..4人分の皿洗いをして...寝て…その繰り返しで。
毎日毎日。
私は料理を手伝ったことも、そのあとお皿を下げて皿洗いをしたことも、
掃除を手伝ったことも、洋服をたたんでタンスにしまったことも、、、、
無かった。
当然母がやるべきことと、思っていたのではないか。
家事を押し付けていたのは父だけでなく自分もだった。
母も人間で、完璧じゃない。家事を押し付けられ自分の時間を削られていて日々の生活に不満を抱いていたとしたら...
ごめんなさいとしか...言いようが...
中学生に上がると、兄も私も机に座らせられ、父に勉強見てもらうようになった。
ここから帰る時間はバラバラになり、勉強の時間もあって4人全員で同じテーブルで母の食事をとることはなくなった。
その日あった出来事やその日感じたことを吐き出す機会もなくなった。
聞こえてくる言葉は勉強の内容のこと。
兄は周りの環境に、父に、従順であった。
父が受験期の頃は私の受験期ほど荒れなかった。
年に数回、兄が父の罵倒に耐えられず声を上げたことがあったくらいで、そのとき母も兄を庇って父と度々言い合いになっていた。
私は勉強が嫌いだったわけではない。
私の神経質さが邪魔をした。
父の、
食べていないにもかかわらず口を開けるたびに聞こえる
「クチャ」
という不快な音(当然食べているときも)が本当に耐えられなかった。
殺意さえ沸いた。
今も沸く。その音を満員電車やレストラン、大学の教室...
どこかでその音を聞くたび、
怒りと、不快、不潔感で気が狂いそうになり叫びたくなる。
貧乏ゆすりも大嫌いだ。
父のがさつさと美意識の低さが行動に現れるとき
自分の神経質は発揮され、態度に現れ、父と衝突した。
何度も涙を流した。
勉強は嫌いではない。もっと快適な環境で、勉強だけに集中していたいのに
勉強を強いる父本人が私の勉強の阻害の一番の要因であったことに
腹が立った。
しかも私の神経質を軽視し、父は自分を変える一切の努力を放棄した。
私の願いを真剣に受け止めてくれたことはなかった。
私は完全に間違っていて自分が正しいのだと、恣意的だった。
今もだ。
治っていない。
毎日毎晩酒を飲み、フラフラとした足取りで、酔っているのに
酔っていないという。
声も大きくなり、それを指摘すると大きくないと怒る。
嫌ならここから出ていけと言う。
酒を本当にやめてほしい。
母も酔った父を見るのも、酔った父が汚すトイレを掃除したり、酒を飲みバイクに乗れず家に帰れない父を迎えに行ったりする、酒に酔った父が、大嫌いであるようだ。
本当に酒をやめてほしい。
何度も言った。
真剣に受け止めてくれることはなかった。
人が本気で心の底から願うことを
なぜ分かってくれないのだ。
周りに迷惑をかけないことをしているのであればいいのだ。
でも、父の場合は自分のしなくてもいい行為が周りに多大の被害を及ぼしているのだ。
父に嫌悪している。
酒を飲み周りを聞き入れない父が人として嫌いだ。
今日はここまで
拒食症について 乙
ブログの更新が滞っていますが、気にしない。
今日は摂食障害、とりわけ拒食症について、
自分の思うことを綴ります。
摂食障害って?
単なる食欲や食行動の異常ではなく、
1)体重に対する過度のこだわりがある
2)自己評価への体重・体形の過剰な影響
といった心理的要因に基づく食行動の重篤な障害
(厚生労働省より引用)
政府が出してる定義はこんな感じ。
摂食障害ってよく
食べる量を徹底的に制限(減らす)拒食型、
大量に食べるが代わりに吐いたり、下剤濫用など代償行為を伴う過食型
に大きく分類されるけど、
実際摂食障害の形は様々で過食嘔吐、チューイングの他にも決まったものしか食べられない選択的摂食障害など本当に当事者の方々ひとりひとりによって性質は異なると思います。
私は俗に言う「制限型」に近く
朝ご飯 もやしの味噌汁、納豆、玄米(85g)
昼ご飯 基本的に無し
夜ご飯 千切りキャベツ、ゆで卵2個
の毎日決まった食事メニューで明らかに摂取カロリーと栄養が足りないと分かった上で続けています。
おかげで身長161cm、体重42kgの低体重です。
でも、自分はまだまだ太っていると感じる。
痩せてるよって周りに言われても自分は「まだ納得がいく体型ではないな」って思うのよね。
「いつか食べすぎてしまったときの保険として今制限しとこう」
という気持ちが私自身は強いです。
低体重になって普段の生活一つ一つの行動が疲れます。
ベッドから体を起こすのも辛く、
椅子を座るにも骨が当たって痛い、立ち上がるにもしんどい、歩いてもすぐ疲れる、走れない、立ちくらみは日常茶飯事、とにかく冬は寒い、着込んでも自分で発熱できないため寒い。
精神的には
食へのこだわりが強すぎて疲れてしまう(ご飯のg数、炊く前は24時間必ず水につける、もやしはこの会社が出してるこれじゃないとダメ!、ゆで卵はこのぐらいの大きさでこの硬さ加減じゃないとダメ!)、毎日の食事メニューを逸脱してしまった場合の焦燥と、少しでも食べ過ぎてしまったときの罪悪感と自己否定、感情の起伏の激しさ、何事にも集中できない、金銭感覚も狂い始める、音にも神経質になり始める…
など本当に精神的にも病みます。
私はもやしや千切りキャベツはファミマかセブンのもの(ファミマが1番望ましい)と決まっており、行った店舗にない場合、手に入るまで何件も渡り歩きます。
「こんなもやしと千切りキャベツごときにw」
って思うでしょ?自分でも馬鹿馬鹿しいなって思うけど自分が納得しないものを口にしたときにイライラしてしまって口から出してしまう。
卵に関しても硬さ加減に納得行かないと容赦なくゴミ箱に投げ捨てます。もちろん廃棄することは良くないことだと分かっていますが、自分をコントロールできない。
友達や他人と出かけるのも困難。
だいたい高校生頃から「遊ぶ=食事(を伴う)」の性質が強くなり20歳越えて歳を重ねるに連れその色は濃くなっていく気がする。
それが自分には不都合で、辛い。
外食はカロリーが不明確で、油も糖質もどのくらいあるのか正確には分からないしイレギュラーの塊。
そして単純に誰かと食事をともにする喜びを感じられない自分に嫌気が指すのが一番苦痛。
ああ、なんで自分はこんなんなんだ。
と。
なんで摂食障害になったか?
私の場合これと言ってなにか一つの原因があるわけじゃないです。中には一つの事件が摂食障害を引き起こしたっていう方もいらっしゃるでしょう。
誰かに太いと言われたわけではないですが、
昔からぼんやりと自分の脚は太いと思っておりコンプレックスでした。それから「〇〇(私)は☓☓(いとこ)より太ってるね」と祖母から言われたり、「そんな脚良く出せるな」みたいな些細な出来事や、
メディアの痩せ至上主義的な部分、例えば細いモデルや女優をもてはやしぽっちゃりした芸人さんたちをなじるような風潮などを日々キャッチすること
などによって「痩せ=美しい」の考え方が蔓延りこんな状態になってしまいました。
痩せてるって何?
痩せてるほうが本当にきれいなの?
いろいろな「美しい基準」があっていいはずなのに。
こんなのってどこかおかしいよ。
老若男女、細い太い普通関係なく、
みな口を揃えて「ダイエット」を口にして。
ダイエットってなんなのよ?
疑問ばかり。
初海外旅行、初飛行機、女一人で初韓国旅行行ってきた①
大学生の2年の夏休み。何か新しいことがしてみたい。
海外に行ってみたい。
ずっとドイツのクリスマスマーケットに行くことが夢だった。
でも初飛行機、初海外でドイツのクリスマスマーケットに行くとして
その不慣れのために、旅行の計画とか諸々の手続きに気疲れしてしまうんじゃないか?
いきなりドイツに行くんじゃなくて、まずは違うところに。
ということで韓国に行ってきました!!
最近日韓関係も問題になっていますが、
私は韓国の人々、文化が大好きです。
ドラマに出てきそうなお見送りテラス的な場所にて。
今回の初海外一人旅行はLCCでイースタージェット(EASTER JET)を利用。
搭乗まで時間があったので
ローストビーフなんか食べたりして。
アイスティーかってくらい一緒に頼んだアイスコーヒーが薄かった。
隣の席に大学生団体がいたんだけど、モリモリ食べてた。
初飛行機、すごく感動した。
とにかく空を飛ぶ飛行機という人の知恵が生み出した産物に至極感動した。
この感動、伝われ。
綺麗でしょ。
夜景好きとしてはこの上ない幸せ。
飛行機って少しジェットコースターに乗ってる気分になるね。
なかなか仁川空港綺麗。
仁川空港から今回の旅の拠点になるホテルの最寄り
「東大門歴史文化公園駅」まで
空港鉄道で仁川→ソウル駅、4号線でソウル→東大門歴史文化公園駅
この駅出口がたくさんあるのだけど、7番出口はすごく出にくい。
最初7番出口が見当たらなくて、
韓国人の女の子に聞いたんだけど、その女の子も分からないみたいだった。
でも一緒になって困ってくれて一生懸命探そうとしてくれた。
終電で時間も遅かったのにね。
昔は韓国の人に対して偏見があった(後述したい)けど、
こうして本当に直接接してみると優しい人も多い気がする。
ホテルに何とか到着。
一泊3000ウォンくらいだったかな。
少し狭いけどなかなか中は綺麗だったよ
周辺の治安は良くはなかったけど、いろんなところへのアクセスはしやすい。
明洞は2駅、カンナムもまあまあ近いし、東大門については歩いて行ける。
少しホンデまではあるけど1本で行けた気がする。
ホテルについてから歩いて東大門へ。
東大門DOOTA。
なんと深夜(早朝)5時まで営業してる。
私がこのとき行ったのも深夜2,3時。
なんかおじさんがこっち見てるなあ。
本日の夕食。
少し甘い味がしてでも塩加減が絶妙で美味しかった。
日本の焼き鳥とはまた違う。
一日目はこれで終わり。
これからの韓国旅行でワクワクがいっぱい。
摂食障害について
私は今大学生の身なのですが、浪人時に摂食障害を患いました。
病院で特別「あなたは摂食障害です。」と言われたわけではないのですが、
今思えばあの頃の症状はまさに摂食障害だったのでは?と思っています。
太ることに対する異常なまでの恐怖。
毎日体重計に乗っては一喜一憂していた気がする。
摂食障害、私の場合は拒食症になったのは2年前の浪人時。
浪人が決まった3月、体重は47kgだった。
この時から勉強だけでなく、
すべてのことに関して“自分に厳しくしなければならない”そう思ってました。
自分に甘すぎる。自律しなければと。体重も増えることがあってはならない。
夏になって第2回の模試の結果が返ってきたときのこと。
全然成績が伸びていない。センター8割に届いていない。
第1回の時はA判定だったのに...まずい。まずい、まずい……。
3階の自習室で一人「どうしよう、どうしよう...」と涙ぐんだ記憶があります。
7月、夏休みになった頃からストレスでおかしくなっていきました。
隣の人の書く時のカツカツと机とシャーペンがぶつかる音、咳、貧乏ゆすり。
音には本当に悩まされました(今も大いに悩まされていますが)。
隣の人が下敷きを引いていないと書く音が刺さるように私の耳に届き、イライラが止まらず、勉強に集中するどころではなく、殺意がわくほどでした。
勉強したいのに、と、悔しくてたまりませんでした。
インターネットで評判だった耳栓なんかを何種類も買ったりしましたが
私の敏感な耳には無意味でした。
塾のチューターにも相談しましたが何の対応もしてくれませんでした。
本当に悔しかった。自習室は席が毎度指定されていました。勇気を出して、「こいつおかしいんじゃないか?」と思われても仕方がないと思いつつ、自習室の監督に何度も席を代えてもらいました。
でも、いい席になかなか巡り合えず、悔しくて、悔しくて、
大根と玉ねぎを本当に油で炒めただけのご飯を夕方に食べながら涙した日もありました。ストレスで食べ物がのどを通りませんでした。空腹も頭を使っているときは感じませんでした。
何で悔しいのか?それは勉強して成績を伸ばしたいのに、周りにそれを害されるから。
ろくに勉強に向き合えていない人に、本気で向き合いたい自分を妨害されているから...
この時はそう思っていました。悔しくて仕方なかった。
いっそ死んでしまいたいと思ってました。
塾の行き帰りの道で車に退かれたい、交通事故にあって死んでしまいたいと毎日のように思っていました。
だれか殺してはくれないかと。
食事は、毎日朝大根だけをいれた味噌汁みたいなものと豆腐1丁、昼は何も食べず、夜は鮭一匹の半分を食べて寝る。
そんな感じでした。親とは一日に一言会話をするかしないかでした。
そもそも、この時期からまともに会話ができませんでした。話しかけられても何と答えたらいいかわからず、もごつき、何も返答できませんでした。うん、いいえ、しか発せませんでした。
夜塾から家に帰る時、帰ったことを気づかれないようにできるだけ音を立てずに玄関のドアを開け、自分の部屋にこもっていました。
そんなことをしていたら、秋になって体重は41kgになっていました。
身長が161cmの私には41kgは低体重でした。
お尻が痛くて椅子に座ること自体苦痛でした。毎日塾に通うのに自転車に乗ることも苦痛でmできる限りたち漕ぎや歩いていました。
寝る時も背骨が床にあたって痛いので下に毛布を何枚か重ねてその上に寝ていました。
本当に異常だったなあ。
でも、痩せていたことが自分が自分に厳しくできているということの体現をしていたのです。
だから、痩せている自分が好きだった。嬉しくて変な恍惚感さえあったのです。
達成感もありました。成績は思うようにいかずとも、体重だけは低くなる一方で、嬉しかった。
あのとき、どうだったっけ。
あばら骨がごりごりに見えていたので、お風呂に入るときに自分の身体を見るのが怖くてお風呂に入るのは3日に1回くらいでした。あとお風呂に入ると髪が凄い抜けるからっていうのもあった。
食事も、まともに(?)魚一匹とかを食べると、本当に胃が燃えるように熱くなるのを感じた。普段”もの”を食べていたかったから、たまに食料を胃に入れると体が頑張って吸収しようと活発に動いてたんだろうね。
食べ物を食べ、ほんとうにお腹が燃えるように熱くなったのを感じたときは、
「ああ、身体は生きたいんだなあ」
とそう思いました。
なんだかんだで冬の終盤で成績が伸びて、
受験期に忙しくしてたら体重は47kgとかに戻っていました。
無事私立も、志望していた国立大にも合格したので、
自己肯定感が生まれたのか、体重増えた、太った、まずいか...でもまあいいか。と少し考えられるようにはなったのです。
……………
今も体重が増えることに対する恐怖感がかなりあります。
炭水化物は未だに食べられません。
白米、パンはここ2年間まともに口にしたことはないです。
今も戻れることなら41kgの自分に戻りたいとさえ思います。
最近になって「まずは45kgまで落とす!」という目標を掲げたくらいですから、浪人時に経験したことを反省していません。
とりあえず今日はここまで。
なにか聞きたいこと、疑問点等あれば気軽にコメントしていってくださいね。
それじゃあまた。
歌詞の英語文法への疑問
Love you so bad, Love you so bad
널 위해 예쁜 거짓을 빚어내
Love you so mad, Love you so mad
날 지워 너의 인형이 되려 해
っていう歌詞がありますなあ。
どういう文構造だ?
このbad, mad はなんだ??副詞なのか??
(I) love you so badly とか (I) love you so madly
ならまだ分かるなあと英語に疎い自分は疑問に思ったので
調べることにしました。
だってこんな公に出す歌の歌詞に文法的間違いがあったらなんかおかしい。
こういう使い方がきっとあるに違いない。
☆Bad編
・ジー●アス英和辞典,ウィス●ム英和辞典より
副《米略式,くだけた話・非標準》ひどく、とても(badly)
・オー●ックス英和
副《主に米口》非常に,ひどく(badly)(この用法は正しくないとする人が多い)
と書かれていました。なるほど、やっぱり副詞。
アメリカでくだけた言い方で使われてるみたい。
歌でそんな堅苦しい文法の使い方をした方がなんか馴染みにくそうだもんなあ。
友達と話すときは I want to eat meat dish so bad!くらいでいいよなあ。
勉強になった。
☆Mad編
ジー●アスもウ●スダムもオーレ●クスにもmadの副詞的な使い方は書かれてなかった。
あれ??まじか。
多分love you so bad のほうにかたちを合わせてるのかも。
調べたら Love it's so mad って書いてあるサイトもあった。これだと確かに納得。
う~ん。なんかまとまらないのでmadの意味を再確認しておこう。
madって気が狂ってるって意味しか知らない。
形mad
1[be~][get~]~に対して頭にきている,(カンカンに)怒っている
・She got mad at him for seeing a girl.
2<主に英・くだけて><人・考え・行為などが>馬鹿げた、愚かな、狂気じみた
3<主に英・やや古・くだけて>気が狂った、狂気の
・go mad 気が狂う、発狂する
4<激しい激情で>取り乱した、狂ったように激しい
ではでは。