RANAわあるど

日々感じたことを綴る

拒食症について 乙

ブログの更新が滞っていますが、気にしない。


今日は摂食障害、とりわけ拒食症について、
自分の思うことを綴ります。

摂食障害って?

単なる食欲や食行動の異常ではなく、
1)体重に対する過度のこだわりがある
2)自己評価への体重・体形の過剰な影響
といった心理的要因に基づく食行動の重篤な障害
(厚生労働省より引用)

政府が出してる定義はこんな感じ。
摂食障害ってよく

食べる量を徹底的に制限(減らす)拒食型、
大量に食べるが代わりに吐いたり、下剤濫用など代償行為を伴う過食型

に大きく分類されるけど、
実際摂食障害の形は様々で過食嘔吐、チューイングの他にも決まったものしか食べられない選択的摂食障害など本当に当事者の方々ひとりひとりによって性質は異なると思います。



私は俗に言う「制限型」に近く

朝ご飯 もやしの味噌汁、納豆、玄米(85g) 
昼ご飯 基本的に無し
夜ご飯 千切りキャベツ、ゆで卵2個

の毎日決まった食事メニューで明らかに摂取カロリーと栄養が足りないと分かった上で続けています。


おかげで身長161cm、体重42kgの低体重です。
でも、自分はまだまだ太っていると感じる。
痩せてるよって周りに言われても自分は「まだ納得がいく体型ではないな」って思うのよね。

「いつか食べすぎてしまったときの保険として今制限しとこう」
という気持ちが私自身は強いです。



低体重になって普段の生活一つ一つの行動が疲れます。
ベッドから体を起こすのも辛く、
椅子を座るにも骨が当たって痛い、立ち上がるにもしんどい、歩いてもすぐ疲れる、走れない、立ちくらみは日常茶飯事、とにかく冬は寒い、着込んでも自分で発熱できないため寒い。

精神的には
食へのこだわりが強すぎて疲れてしまう(ご飯のg数、炊く前は24時間必ず水につける、もやしはこの会社が出してるこれじゃないとダメ!、ゆで卵はこのぐらいの大きさでこの硬さ加減じゃないとダメ!)、毎日の食事メニューを逸脱してしまった場合の焦燥と、少しでも食べ過ぎてしまったときの罪悪感と自己否定、感情の起伏の激しさ、何事にも集中できない、金銭感覚も狂い始める、音にも神経質になり始める…
など本当に精神的にも病みます。

私はもやしや千切りキャベツはファミマかセブンのもの(ファミマが1番望ましい)と決まっており、行った店舗にない場合、手に入るまで何件も渡り歩きます。
「こんなもやしと千切りキャベツごときにw」
って思うでしょ?自分でも馬鹿馬鹿しいなって思うけど自分が納得しないものを口にしたときにイライラしてしまって口から出してしまう。
卵に関しても硬さ加減に納得行かないと容赦なくゴミ箱に投げ捨てます。もちろん廃棄することは良くないことだと分かっていますが、自分をコントロールできない。


友達や他人と出かけるのも困難。
だいたい高校生頃から「遊ぶ=食事(を伴う)」の性質が強くなり20歳越えて歳を重ねるに連れその色は濃くなっていく気がする。
それが自分には不都合で、辛い。

外食はカロリーが不明確で、油も糖質もどのくらいあるのか正確には分からないしイレギュラーの塊。
そして単純に誰かと食事をともにする喜びを感じられない自分に嫌気が指すのが一番苦痛。

ああ、なんで自分はこんなんなんだ。

と。



なんで摂食障害になったか?

私の場合これと言ってなにか一つの原因があるわけじゃないです。中には一つの事件が摂食障害を引き起こしたっていう方もいらっしゃるでしょう。

誰かに太いと言われたわけではないですが、
昔からぼんやりと自分の脚は太いと思っておりコンプレックスでした。それから「〇〇(私)は☓☓(いとこ)より太ってるね」と祖母から言われたり、「そんな脚良く出せるな」みたいな些細な出来事や、

メディアの痩せ至上主義的な部分、例えば細いモデルや女優をもてはやしぽっちゃりした芸人さんたちをなじるような風潮などを日々キャッチすること
などによって「痩せ=美しい」の考え方が蔓延りこんな状態になってしまいました。


痩せてるって何?
痩せてるほうが本当にきれいなの?

いろいろな「美しい基準」があっていいはずなのに。

こんなのってどこかおかしいよ。


老若男女、細い太い普通関係なく、
みな口を揃えて「ダイエット」を口にして。

ダイエットってなんなのよ?

疑問ばかり。